太陽の光が隅々まで行き渡る車内、早めの朝だった。まだあまり人のいない搭乗ゲートの降車場にタクシーは停止し、運転手が荷台にのせていた真新しく仕上がった黒のバックパックをよいしょと丁寧に受け渡してくれた。
「ありがとうございます」緊張していたから、彼の顔なんて見る暇は無かった。
予約していた航空会社のチェックインカウンターには4,5人が並んでいる。出発の2時間以上前にきちんと着いているからまだ列は長くない。際立ってにこやかでもないグランドスタッフの女性は淡々と各旅客の搭乗手続きを行っている。
「台湾から出国の際のチケットのご提示をお願いいたします」
え、と思わす声が出た。予想外の確認事項であった。なぜなら今予想していることと言えば、しばらくしたら飛び立つだろう台湾桃園国際空港行きのフライトに乗り込むことだけなのである。そんなことだから、台湾からいつ出国するのか、どこへ向けて出国するのか、何を使って出国するのかなんて今の今までの私は持ち合わせていなかった。
「どうすれば良いですか。持っていないんですが」
正直にそうとしか言いようがなかった。
「残念ながら、出国の証明ができなければ入国を許可することができません」
何故ですかと聞きたい気持ちを押し殺してじっと話を続けた。
「まだ出発には時間がありますので、出国を証明できるチケットを今からお取りいただいて、、」
早速思い通りにはいかない。分かりましたと仕方なく伝えた私はカウンターからほど近くの人通りのない床に座ってラップトップを起動した。朝から磨き上げられたゴミひとつない白の床材は熱を持たず、胡座をかいている足がやけにひえた。
至急日付や費用を考えた上で、台湾からは台北から香港に行く便が良いだろう。6日後の19日出発のフライトを予約した。解答も分からずに問題用紙に適当に答えを記入しているような憂鬱な気分だった。いつ台湾から出たくなるかも分からないのになぜという行き場のない苛立ちが募った。
先ほどの搭乗手続きもどきを行なった女性のカウンターに戻って、準備していたパスポートと出国の際のチケットをご提示した。やれやれと言いたげに20kgもある黒のバックパックに白い帯状のタグが付けられ、ベルトコンベアに運ばれていった。
出国のチケットをとっている間に気がつけば空港は多くの人で賑わうようになっていた。保安検査場の列に並んでいるとすでに出発の1時間前である。せめて2時間以上前に着いていたのが慰めかと行き場のない苛立ちを私は落ち着かせていた。
フライトは台湾生まれの国際LCCタイガーエア。白のシンプルな機体に尾翼は虎柄という今どきの若者なのか大阪のおばちゃんなのか判断のつかないデザインだ。使っていなかったオンラインチケットに気がついて、ゆずシトラスティを搭乗口近くのスターバックスで購入した。機内乗り込みの際に持ち込みは遠慮しておりますと乗務員の女性に言われてしまい。思い通りにはいかないなと頭でぼやきながら、人だかりの中で一気に飲み干した。
チケットに書かれている座席を見つけ、手荷物を上の棚に収納して指定の窓側へと座った。列にはまだ誰も座っていなかったので断ることもなく座席につくことができた。すると先ほどまでの出来事にかき消されていた緊張感が急に込み上げてきた。あまりの緊張で吐きそうな気分だ。そう、これから私は世界一周の旅をしようとしている。今日がその第一歩なのである。どのくらい日本を離れるのかも分からない。その前に世界一周を達成することができるのかも当たり前だが不確かである。意気揚々と世界一周の旅に出ますなんて言っておいて、正直気分の悪くなるほど緊張してしまっている自分がいる。もう座席にはついてしまっているし、ここに来て辞めます冗談ですと言うこともできない。私は吐き出してしまったのだ私のやりたい事を。
何人もの旅人をのせた使い古された安価な合成皮革のシートには所々にスレが見られる。客室乗務員は手振りを交えながら起伏の無い機内の安全説明をちょうど終えたところだ。大きな機体はその身体を滑走路へと動かし、エンジンが本領を発揮する音が聞こえる。まるでこれから飛び立とうとしているかのようだ。僅かな慣性の力が僕の身体を座席に押し付ける。機体が地上を離れるのを感じると身体は一瞬重力から解き放たれた。飛んでしまったと思った。たった1人の人間が日本を離れたそれだけのことだと窓から見える景色は変わらぬ日々の暮らしを続けていた。
台湾桃園国際空港に着いたのは13時を僅かに過ぎた頃だった。入国検査では出国チケットの提示を求められ、その他の質問は特に聞かれることなく90daysと書かれた台湾入国のスタンプを押された。90日もビザ不要で居られるのなら出国のチケットなど必要ないようにも思うと私の後ろめたい気持ちはまだ消えていなかった。
無事にバックパックがベルトコンベヤから運ばれてきた。よいしょと呟いて背中に抱えた。今度はありがとうと言う相手はいなかった。あまりの緊張から昼食を食べる気分にもならない。空港内のコンビニに寄ってレジのお兄さんに電車に乗るためのメトロカードを買えるかと訊ねた。うんと答えてカードが渡され会計を済ませた。台北中央駅行きの真新しい電車へと早々に乗り込んだ。要領は日本と変わらない。期間限定のクレヨンしんちゃんのメトロカードを手に取り、せめてデザインくらいは選びたかったなと思った。
台湾では台北市内に在住の父の友人、陳さんと言う男性の自宅にお世話になる予定だ。事前に送られてきた住所から最寄りの駅は分かっていた。ただ少しくらい街の様子を見たくなって、1つ手前の駅から徒歩で向かうことにした。20kgものバックパックを背負って街を歩くのは人生で初めての経験である。10月の台北市内を歩くと半袖でも汗が滲んだ。信号を待っていると次々と原付バイクが通り過ぎてゆく、背広のサラリーマン、若い女性、買い物袋を足で挟み運転する中年女性、子供を乗せた父親など景色は様々だ。
立派なデパートもある大通りから一つ路地を入ると先ほどまでの賑やかさは消え、閑静なアパート街に入る。陳さんの自宅はその中の一つベランダに格子のかかった四階建ての建物だった。門扉前で待っていた陳さんは70歳という年齢にも関わらずスラリと背筋の伸びた無邪気な笑顔の持ち主だった。
こちらですこちらですと陳さんに招かれ自宅にお邪魔すると奥さんがやってきて挨拶をした。陳さんは流暢に日本語を話すが、奥さんは話さないため陳さんが間に入って通訳してくれる。何とお呼びすればいいですがと聞くとおばさんで良いと言った。息子娘がいたがすでに彼らは各家庭を持って離れているため、自宅には陳さんと奥さんの2人暮らしと言う。学習机の残る元子供部屋を借りて私はこの台北にフライトを取ってしまった19日までいる予定だ。
玄関の鍵の使い方や部屋にある扇風機、エアコンの説明を終えて、好きに使ってくださいと陳さんは言った。いかにも分かっているかのようにその言葉は優しく今までの私の緊張をほぐしてくれた。早めの夜食を取るついでに少しばかり周りを散歩しましょうと早速3人で出かけることになった。
夕焼けが西の空を微かに赤く染めはじめ、交差点を挟んで立つビル群にもその光が反射している。先ほど通り過ぎたデパートの中には原宿のような都市型IKEAが入り、地下には学生や若い人で賑わうフードコートが広がっていた。屋台の並ぶ通りにあるネオンの看板に大きな漢字が存在感を放つお店。慣れたように二人は入っていった。小さく日本語の表記もあるから有名なお店なのだろう。店先には貝に、魚、肉、野菜が順序良く赤いカゴに並べられ、それを見ながら2人は店員と会話をしている。どうやら食材を選んで料理を注文できる仕組みなのだろう。注文を手元のメモに書いた店員は我々を店に通した。
陳さんの頼んでくれたビール瓶が運ばれ、日本と同様にグラスに注いて乾杯をした。豆苗炒めに台湾の白米、筍にエビにおすすめのガチョウは蒸され脂身が程よく光っている。煮込み臭豆腐なるものも円卓に運ばれてくる。食べてくださいと嬉しそうに陳さんは言うものだから、私だって遠慮せずあれもこれもを頬を膨らませながらいただいた。昼食を食べていなくて本当に良かったとその時心底思った。
帰りに2人は先に戻ると言い。私は1人散歩に出掛けることにした。すでに辺りは暗く、赤黄緑と屋台のネオンが暗闇に輝いている。一文字だけ電球が切れたままの看板は、いつからこうなのだろうか。微風 Breeze Centerと書かれたデパートを覗くと紀伊國屋があり、京都など日本の観光に関する本や雑誌が平然と置かれている。今朝日本にいたはずなのに今は台北で散歩をしていることがなんだかやけに不思議に感じてしまう。帰ろうとすれば明日にでも日本に帰ることができるのだ。近代的なスタジアムのある公園では一般に開かれた陸上トラックでランニングをする人が目立つ。学生がスピーカーで音楽を流しながらダンスの練習をしている。皆自由に気ままに使っているのが心地よさそうだった。
教えられた通りに渡された鍵で玄関の戸を開ける。3回回す時に少し引っ込めるのがコツらしい。カシャンと大きな音が響く。
「おかえりなさい」と陳さんが言った。
「ただいま」と私は言う。
231013 Taipei Taiwan

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