黒のL字ソファとナッツやフルーツの置かれたローテーブル。読み終えた単行本をそっと置いた。誰もいない午前中の静けさだ。旅の中で読み終えた本はこれが最初である。正直助けを求めていた。旅の中の不安や不確実に怯えている私に、寄り添って「大丈夫だ」と言って欲しかったのだ。だが、読み進めるうちに、読まない方が良いという想いが沸々と込み上げてきた。憧れというものが私自身の旅を縛り付けている気がするのだ。尚且つ私が感じるだろう旅への表現や感情が丁寧に含まれており、旅のあらすじを知ってしまうようで嫌な気分がした。もう旅の最中にこの本を読むことはないだろう。ただ、旅は良いと思わせてくれた。それは分かっていた。
この2週間で変わったことと言えば、今までの人生で集合住宅の外壁のように貼り付けられたプライドや綺麗に整えられた何かが私にあると気がついたことだ。雑草ひとつも許さずに決まったものしか用意されていない道路のような鉛色と白線が私に存在していたこと。その整備された存在を、もっと不細工に、不器用に存在させる。それで良いのだと、気づき始めていた。
若い頃の贅沢ばかりはよくない。我々は動物だから、危機のない羽毛布団にくるまった贅沢な生活を覚えてしまえば、そこから路上に寝そべることの平和を感受することができなくなってしまう。私は贅沢をしていたなと僅かばかり前の生活を思った。まだそこから出ることのできない私もいた。剥がしていかなければ、出なければいけないのだと、私は言っていた。
遼寧街夜市の食堂で店員に挨拶して、席についた。今日は間違えずに豚の角煮ののった控肉飯を注文した。店員の女性は私の回答を知っているのか嬉しそうに「美味しい?」と聞いてきた。私は笑顔で「美味いです」と一言伝えた。10月の終わる頃とは思えない強い日差しがアスファルトの路面を照らしていた。
中山周辺を散策しに歩いた。聳える三越のデパートが目立つ交差点が中山地区の始まりだ。日本人の観光客も多いため、景色は日本と大して変わらない。日本の製品で埋め尽くされた地下階のスーパー。酒コーナーには台湾のクラフトビールが揃っていた。気になったので買って帰ろうか。
最上階には蔦屋書店の原型となった誠品生活があり、本から雑貨までが丁寧に陳列されていた。雑誌ラックのほどんどが日系の雑誌だろう。一方的に顔見知りとでも言うのだろうか、著名な男性、女性のモデル表紙が行儀よく整列していた。おすすめの本が積まれた本棚には、イーロンマスク、投資資産形成、マインドフルネス、ChatGPTから日本の作り置きの料理本。日本の品物を度々目にした。
エレベーターの下りの動きに身を委ねていたら、日本には無いものはないのでないかとふと頭をよぎった。本に関していえば、ジャンルを問わず、書店にずらりと揃っているだろう。雑貨も様々な用途に特化した小さな道具がよく並べられている。珈琲店だって、洒落たものから、喫茶店やチェーン店とある。
日本は全て揃い過ぎてしまってはいないか。買い物できないものなどない気がする。あるだろうか買えないものが。とはいえ、それを支えられる経済的強さも確実に持ち合わせているのだ。ものすごいなと交差点のざわめきに戻った。
三越含めデパートの並ぶこの場所を、北へ歩くと地元の八百屋や服屋で賑わっている市があった。色とりどりのパラソルが広げられ、あれが安い、これが良いと客を呼ぶ声が聞こえる。
植木鉢に囲まれた小さな本屋にはお香が炊かれていた。店内にあるビンテージスピーカーからは温かみのある音がしている。店主は若い長髪の男だった。
「このスピーカーはどこの?」と聞いた。
「台湾の古いメーカーもの。でも、もう売られているものじゃないんだ」と彼は言った。
Bairyeと書いてあった古いビンテージスピーカー。調べても出てこないものもあるんだ。
中山周辺は渋谷や原宿と似通った空気が漂っていた。個人で創り上げた若いお店は多いし、美容室は全ての通りに揃っていた。カフェに並ぶ若者を何度横切ったことだろうか。龍山寺の囲碁大会の眺めとは対照的な景色だが、これはこれで懐かしく馴染む心地であった。
地下階のスーパーにあったクラフトビールを3本買って家に帰った。陳さんに渡すと、初めて見ましたと喜んでいる。いつか飲みましょうと近々の約束をした。
231026 Taipei Taiwan

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