シンガポール、チャンギ空港の片隅で朝を迎えた。夜中に着いてから、人通りの少なく暗い場所にあったベンチで眠った。眠ったと言っても、近頃のベンチには横になれないよう肘掛けが着いているため、体操座りになって浅い眠りを繰り返していた。朝の光が閉じた瞼をかすめると、すぐ隣のガラス扉が開いて、人が出入りするのを感じた。何事だと眠気眼でぼんやりと顔をあげた。すると、ここは空港内を行き来するモノレールの乗降場所だったのだ。昨夜、ただの静かな壁にしか見えなかったガラスの向こうは、朝の始まりを告げたモノレールのホームだった。
初めは気にせずに眠り続けていたが、ガラス扉の開閉が繰り返されるたびに、ぞろぞろと人の横切る音がするのに我慢ができなくなった。フライトが飛ぶ搭乗ゲート付近に移動し、しばらくして朝日が登ったチャンギ空港からジャカルタのスカルノ空港へと飛び立った。
やはり入国検査では出国チケットが必要だった。今回は、ジャワ島の港から出るシンガポール行きフェリーの仮チケットを準備しておいた。それを見せれば、検査官は納得して入国スタンプを押してくれた。500,000ルピアのアライバルビザを窓口の係員に依頼して、立派なシールをパスポートに貼ってもらった。およそ5000円と高額なシールだった。
ジャカルタでお世話になる大学の友人には、何時に着くと事前に連絡してあった。ベルトコンベアから流れてきたバックパックを背負って、彼女の待つ出口に向かった。
扉が開いて外へと出た瞬間、水分をよく含んだまとわりつくような熱気と、柵を隔てて待つタクシーの運転手に捕まった。友人の名前を伝えると、そうだそうだと頷いて、私をタクシーに乗せようと試みている。彼らは間違いなく私の友人を知らない、どういうことだと苦笑いしながら、あたりを見回すと友人Vが待っているのを目にした。この運転手の男達は全く関係ないのだ。少しでも信じようと思った自分を笑った。
友人Vは大学の後輩であり、インドネシア人である。ジャカルタにある彼女の実家に数日間滞在させてもらうことになっていた。駐車場まで歩いて、運転手付きのヒュンダイのセダンに乗り込んだ。アスファルトの熱が蜃気楼をつくる道路を時速60kmほどで走り抜けていった。車内にはクーラーがかかり、そんな熱気など関係なく、我々は久しぶりの再会で盛り上がっていた。
30分ほど経つと高層ビルの並ぶジャカルタの中心地へとやってきたのが分かった。車が横付けされ、ドアマンがやってきて、丁寧にドアを開けた。なんてことだ、バックパックを背負った私はそう思った。天井が黄金に輝いて、シャンデリアのぶら下がったエントランスを歩いた。Vは私の戸惑いなど気にせずに、艶のあるエレベーターに乗り込んだ。4列もある階ボタンの33を押した。
どうぞと言われて入ると、隅々まで掃除された様子のダイニングとリビングルームがひらけていた。実家の自室よりも大きなゲストルームに通されて、気軽に使ってと一言。ダブルベットとデスクが置いてあり、壁一面の大きな窓からはジャカルタの街が一望できた。窓から見えるプールは、併設ホテルのものらしく、ジムもあるから自由に使っていいと言う。お父さんのトーマスさんに挨拶をして、メイドの用意してくれたオレンジとチョコをいただいた。景色が全て変わってしまった。
ベランダからは、セントラルジャカルタにある環状交差点、スラマットダタン記念碑を見下ろせた。濃い緑の茂りと、高層ビルにオレンジ色の瓦屋根が目立つ街だ。空はスモッグでわずかに霞んでいた。困惑している私は疲れもあり、ベットに横になるとすぐに眠りについていた。
起きると、すでに17時になっている。周りの様子を少しでも把握しておこうと、急いで散歩に出掛けた。コンドミニアムの建つこの辺りには、煌びやかな高級ブランドの並ぶショッピングモールもあれば、サテを焼く煙ののぼる屋台通りもあった。小さな子供達が信号待ちをする私に、空の箱を持って金をねだりに声をかけてきた。彼らのような路上生活者もいるようであった。人の波は路線バスの発着する停留所、メトロの駅へと続いていた。夕暮れの空は霞んで見え、原付バイクや車のヘッドライトが次第に灯り始め、帯になって遠くまで続いていた。
初めて降りたった街だと言うのに、すでに私はこの街の匂いを知っているような気がした。まだ数時間歩いただけだが、タイのバンコク並みに大きく音のある都市、フィリピンのマニラのような雰囲気も漂っていた。
ショッピングモールに寄って帰ると、トーマスさんが自宅に講師を呼んで、メディテーションを行なっている最中だった。彼の習慣らしく、しばらくして終わり、メイドの作った夕食を3人で愉快に食べた。メイドの作る料理は大変美味しく、それを伝えると、トーマスさんも嬉しそうにそうだろうと笑った。メイドはアルムという名前で、友人Vと私からしたらお姉さんになるような年齢だった。インドネシア語で美味しいと言う意味のエナック(enak)を教えてもらい、アルムにも伝えると嬉しそうだった。
広々としたバスルームでシャワーを浴びて、あえて部屋にある大きな窓のカーテンは開けたまま寝ることにした。窓から覗く数々のビル群と屋外広告は眩しく、色とりどりの光が暗くなった私の部屋を照らした。バイクの駆け抜ける音や、クラクションが街から鳴り響いている。33階のこの場所にも聞こえるのだな、これもまた新しすぎるなとふと笑みを浮かべて眠った。
231103 Jakarta Indonesia

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