黒く艶のあるモダンデザインのダイニングテーブルには、メイドのアルムが用意してくれたフルーツプレートが置いてある。街からクラクションや車の走行音がしない。日曜日である今日の午前中は、No Car Dayと言って、すぐ下にあるスラマットダタン記念碑の通りで交通規制を行っているからだ。通り一体で、道端では朝市が開かれ人々の賑わいがあり、広々とした公道でランニングや散歩に勤しんでいる市民を眺める事ができた。
アルムは朝市からちょうど帰ってきたところで、キッチンに食料の入った大きなビニール袋を置いた。「シチュパイ食べる?」と彼女の買ってきたパイも朝食に貰った。ほのかに暖かさの残るシチュパイを、ありがとうと言って頬張った。懐かしい。給食に出たクリームシチュの味がした。
朝市の様子を見物しに、艶のあるエレベーターに乗り込んだ。エントランスのドアマンとにこやかに朝の挨拶をして、外へ出ていった。通りには、街の遊園地にありそうな、色とりどりのパラソル。傘下には、靴や洋服から充電ケーブルなどの日用品が並べられて販売されていた。屋台からはサテの焼ける煙があがっている。遅めの朝食を取る中年の男性達が、プラスチック椅子に座って楽しげに話していた。いくつかのお店は、すでに今日の売り上げに満足したのか、パラソルを閉じ、撤収作業をしている。
満足して家へ戻った時には、ブイが寝巻き姿で目覚めていて、昨日はどうだったと話をした。すでにエクからブイへ連絡が入っていたらしく、エク、タタ、フランスの3人無事帰宅し、楽しかった一日だったと報告してくれたと言った。彼ら3人組とは、また会えるだろう。
昼食は、アルムの作ったスープをモダンなテーブルについていただいた。トーマスさんとブイにとっては日常の何てことのない家庭料理だが、一口食べるだけで、自然に顔が綻ぶほどそのスープは美味かった。私のリアクションを見て、楽しげに笑う2人。私のお腹はクニャン(kenyang)であった。
メイドがいる日常というのは、私には馴染みなく、その存在がどんなものなのか興味深く観察している。掃除、洗濯物、炊事から買い物までをアルムが日頃全て行うのだ。ブイと彼女の関係を覗き見ているが、ブイにとっては、友人のような、お姉さんのような存在であり、時に母のような存在のようにも見えなくもなかった。ブイが帰宅してから、今日あったことをアルムに話している様子や、私の食事に対するリアクションをインドネシア語にして和気藹々と話している場面。買い物の時には、何か買うものがないかトーマスさん、ブイに確認していた。そのような存在が、血筋の繋がった家族以外で家に存在しているというのが、私には非常に印象的であり、また家族のように気を使わない居心地の良さのようなものをアルム自身が醸し出していた。
ドライバーはブイが携帯から連絡すれば、暫くしてヒュンダイのセダンに乗ってエントランスにやってくる。今日はPIKという新たに開発中の商業施設へと向かった。ジャカルタ市内から北の海岸に埋立地として、広く開拓しているらしい。エミリも一緒と連絡があり、彼女のシンメトリーなレジデンスに向かった。相変わらず、外はスモッグで霞んでいて、車間距離のほとんどない入り乱れた車の列が環状交差点を埋め尽くしていた。車内では、インドネシア人についての話になり、日本人のようにお土産を貰う時には、私たちは一度いらないと謙虚に断ってから、貰い受けるようにするんだとブイは言った。正直、意外だった。
他にも、ジャワ系、中華系の人種で言い方が異なるが、「ンバッ」「ティティ」という単語1つでお姉さんから、女性の上司の総称として使えること。最低名前を忘れたらそう呼べばいいんだよとブイは笑って言った。使う言葉の異なることや、忘れたらそう呼べば済んでしまう気楽さが、なんともインドネシアらしく感心した。
「逆に日本は覚える名前が多いよね」ブイは言った。
「大学の時は大変だったでしょ」考えたことなかったが、インドネシア語からしたら十分大変だ。
「そう!全然覚えられない、今は楽だよ」嬉しそうに彼女が答えた。
変わらず細長く聳えているレジデンスでエミリを拾い、自動車の群れに戻る。途中、取り締まりをしていた警官が、笛を鳴らして我々の車を止めた。何やらドライバーと話しているが、彼がポケットから100,000ルピアを警官に渡すと、何事も無かったかのように車は進んだ。後で理由を聞いたが、バス専用ラインを使っていたのと、ドライバーが未だドライバー用ライセンスを所得していないため、違反を取られそうになったのだ。いかにもインドネシアらしい理由だ。彼が早くライセンスを取ることを願うばかり。
PIK周辺に近づくと、乗用車が続く長い列を成していた。なかなか進むことができない。ドライバーとブイが話している。仕方がないので、一時停止している合間に、急いでドアを開けて出ていった。潮の匂いだ。海岸に沿って真新しい店舗が並んで、いかにも上質なヒジャブを身につけた女性達が歩いていた。強く吹く海風で、ゆらゆらと丈の長いスカートが揺れている。建設中の店舗では、作業ベストを着た男が床を仕上げている最中だった。郊外の土地に巨大に造り上げられた日本のアウトレットモールのような人工的で商業的な雰囲気だ。
インドネシアと言えば、バスの注意書きにもあった通り、ドリアンが有名である。ブイに連れられて、中華系の男が営業している専門店で試してみることにした。店のすぐ外まで、ガラス張りのドアからドリアンの匂いが微かに溢れていた。ブイとエミリの2人は特に変わった様子もなく、切り分けられたイエローの果実を口に入れた。毒は入っていないようだった。口にした私は、あらゆる顔の筋肉がこわばるのを感じた。果物の腐ったような匂いと、ねっとりとした食感で身震いを起こしてしまう。2人は笑っている。食べ終えてからも、鼻のすぐ下に位置する口から匂いが漂ってくる。無理だった。ブイとエミリは平然と私の分のドリアンも平らげた。店を出てからも、黄ばんだ靄が身体中から出ているようだった。
電動バイクをレンタルして、海岸沿いの綺麗に舗装された通りを爽快に走り抜けた。小学生ほどの子供もレンタルして運転している。速度メーターは30kmを指していた。さすがにライセンスはいるだろう。
通りの端までやってきて、水平線に並ぶ遠くの風力原動機を眺めた。同じく電動バイクでやってきた人に、ブイとエミリと私とで写真を撮ってもらった。そんなことをしていると、家族が、写真を撮ってくれと私に声をかけた。英語でもないが、写真を撮ってくれと聞こえた。インドネシア語だ。きっとそう言っていた。私は快く承諾して、預けられたスマートフォンで、家族の写真を撮った。スマートフォンを父親に渡すと、お礼の言葉なのか何か言っている。「Your welcome」と言ったところで、私がインドネシア人でない事を判って、彼らは驚いていた。
ブイもエミリも一部始終を見て笑ったが、私は中華系のインドネシア人に見えるそう。
空が静かに明かりを落とす頃に、人工的に砂浜の敷かれたリゾート風のエリアへと移動した。椰子の木が植林され、エリアの中央に位置するステージでは、アコースティックギターとパリッとしたドラムを奏でるトロピカルなバンドが演奏をしていた。いかにもリゾートのような雰囲気だった。出店やレストランのメニュを見ると、朝に見物した朝市の値段よりも遥かに高額だった。豪華なスムージやアイスが似合うエリアだ。祈祷室では、女性達が夕方のお祈りを始めていた。出店でビールを買う人や、砂浜に置かれたプラスチックの机で家族が楽しげにくつろいでいたりしている。
ドライバーはどこかの駐車場でずっと待機していたらしい。ブイの携帯で呼ぶと、行きと同じく暫くしてリゾート風エリアの入り口にヒュンダイのセダンを横付けした。エミリのレジデンスへ戻る。30階ほどの連なる建物のちょうど真ん中の階で、エミリとエクは2人暮らししている。1DKの部屋には、基本的な家具が揃って、整理整頓が行き届いていた。茶毛の猫が2匹いて、人なっつっこいから、彼らと遊んだ。
エクが用事から帰ってきた時に、甘いパンケーキと野菜オムレツの入ったピザボックスほどのサイズのお土産を持ってきた。なぜこの組み合わせなんだと訊くと、インドネシア人はよく甘いものと塩気のあるものを交互に食べるんだと3人は声を揃えて言う。驚くと3人合わせて笑った。このパンケーキとオムレツの組み合わせは、結婚相手の義母に持っていく典型的なお土産らしく、なかなか喜ばれる品だと言う。それぞれ想像の出来る甘いパンケーキと野菜オムレツの味だが、合わせて食べる魅力というのは、私にはなかなか理解が及ばない領域であったのが残念だった。
今夜もやはり、ゴーストの話になった。ゴーストについてそれほど話すことがあるのかと不思議に思いながらも、時計が眠る頃まで賑やかに我々は話していた。ドライバーはブイと私が家へと帰るまで待機をしていて、駐車場に停まるヒュンダイのセダンまでやってくると、彼は運転席で眠っていた。コンコンとブイがサイドウィンドウを軽く叩くと、起きて窓のロックを解除する。
こんなに遅くまで待機させて問題はないのかと、私は労働者の気持ちに寄り添ったコメントをしたが、夜料金を加えて彼に支払えるから大丈夫だとブイは寧ろ前向きな様子だった。ドライバーと月契約をしているが、夜料金を加算できることで、彼も満足してくれるらしいと言う。
テールライトの光が暗くなった公道を順序よく照らし続けている。ブイはふとこぼした。
「日本はすごいよね、みんなが”普通”に生きられている」
「そうだね、確かに」
231105 Jakarta Indonesia

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