近頃の旅は日本と離れるのに苦労する。昨日だって、Netflixで配信された「進撃の巨人」最終話を見て、胸が熱くなった。身体的に私は日本から離れた存在である筈が、行為自体に日本からの乖離がないのだ。ただやっと少しずつ、旅という行為に身体性を持たせることができてきたと感じる。私はこのおよそ1ヶ月の期間が必要だった。一昔前の旅にはない、インターネットは便利な存在だが、旅という行為において言えば、使い方を誤れば厄介なパートナーである気がしていた。
昼食まで、窓から望むジャカルタの街をどこかの飼い猫のようにじっと眺めていた。目下のスイミングプールでは、小さくなった深緑の作業着を着た3人が、掃除やガーデンへ水やりをして動いていた。街を駆け抜ける走行音とクラクションは耳に馴染んで、もうなんとも思わなかった。アルムが洗濯と掃除を規則正しく行っている。掃除機の音だ。
スラマットダタン記念碑にあるターミナルから1番のバスに乗って、今日はブロックMへと向かった。バスの揺れと共に、心地よくうつらうつらしながら、私は街を南へと降りていった。係員の男が、ここで降りてくれと言って、目的地まで途中であるようだがバスを降りる。この便の終点らしく、彼にブロックMに行きたいんだと訊くと、それならあそこから乗れるぞと隣のバス停を指さした。マカシ(ma kasih)と伝えて、停まっていたバスに乗り換えた。ブロックM?と訊くと、運転手はうんと頷いた。
ブロックMは各バスの終点地にあるらしく、周辺までやってくると数々のバスが隊列を組んで、ゆっくりとターミナルへと入っていった。平日だからか、一帯には人通りがなく、絡み固まって垂れる電線や、剥がれた路上のアスファルトがもの寂しく存在しているだけだった。ブロックMスクエアという、日焼けした黄色と青のペイントの真四角な建物がある。草臥れた地元のモールのようだ。施設には、服や日用品の小売店が敷き詰められ、入り口には白熱灯に照らされた宝石の装飾品も売っていた。
ひたすら同じような商品の並ぶ衣類階には、ブランド品の偽物が所狭しに並んでいて、照明は節電にしては暗すぎる。どこからか規則的な電気回路のブーッという低い音が聞こえてくる。ゲームセンターには、日本人に馴染みあるメーカーの一昔前の筐体が並んでいて、数人の若者が熱中していた。映画館からはポップコーンの匂いがして、ラインナップを覗くと、ホラー映画のポスターばかりが掛けられていた。インドネシア人がお化け好きというのは本当らしい。
何故だか全ての階にマッサージ勧誘の若い女性がいて、見かけるたびに「マッサ?マッサ?」と声をかけられる。特に買うものもないので、歩き回った私は満足して、スクエアモールを出て行った。排水の匂いだろうか、まとわりつくような悪臭がこの一帯に沈澱している。まだ活動前のライトが装飾された建物にはナイトクラブの看板が掛かっていた。夜になればこの場所も、賑わうのだろうか。近くのメトロ駅に併設された真新しいモールもひと通り歩いた。フードコートの中ではやや高めの価格設定だったが、丸亀製麺はなかなか賑わっていた。帰りはメトロを使って、スラマットダタン記念碑までやってきた。車内アナウンスの男性は変わらず野太い声だ。
近代的なビルの並ぶ近所を散歩して、家に帰る。今夜もアルムの夕食は格別であった。
231107 Jakarta Indonesia

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