圓山地区にあるTaipei Fine Art Museumへと中山を経由し1時間の道のりを歩いて向かった。連日の2万歩徒歩移動が響いているのか、今日は独り言が多い。身体が疲れている証拠だった。
ミュージアムでは何か大きな催しのため、館内の全てが改装工事中であった。その代わりと言ってなんだが、無料で工事の様子を鑑賞できた。せっかくここまで歩いたのにと、電動ドライバーやハンマーの音が響くホールのベンチに腰掛けた。大理石の床に警備員の革靴の音が軽快に響いている。昼飯を探しに行くことにした。
新調された公園には、トランポリンなどの現代的な遊具が用意されている。遊んでいる子供はまばらだ。隣の敷地には鉄骨の骨組みが積まれている。商業施設などが建って、この辺りは後々開発されていくのだろう。古いスタジアムを改装して飲食店が並んでいた。人は少なく、お店も空いていない様子だった。
疲れているというのに、真面目に足は運動を繰り返してくれていた。見覚えのある建物にたどり着く。しばらく眺め、中に入った。そこは高校生の頃に訪れた場所だった。林安泰古厝、古い中華系の家屋である。中華系の伝統的な暮らしが残る、歴史ある場所だった。2人の若いカップルが伝統衣装をまとい、写真撮影をしていた。入り組んだ居間を抜け、庭の池まで歩ける場所を足で塗りつぶすように歩いた。
身体の疲れがもう帰ってくれと私に主張していた。圓山では良さそうな昼食が見つからず、やむを得ず早足で駅に向かった。そのまま西門へと昼通りを求めてメトロを使った。
昼時をとっくに過ぎた通りはいつもよりも静かであった。お店が違えど、時間の余った店員たちは雑談をしていた。中年の女性定員が私を見つけた途端、手を振って迎えてくれた。抄手麺のお店に決めた。疲れたと声に出して、誰もいない店のカウンター席についた。今日は酸辣牛肉砕来抄手麺を注文した。牛肉感は控えめであったが、辛味のあるスープと抄手が疲れた身体によく染み込んだ。すぐに平らげて、80元を渡して店を出た。
図書館の地下にあるセブンイレブンでコーヒーを買い、外のベンチでほっと一息ついた。それにしても、店員は素っ気なかった。Hotのアメリカーノをくださいと言ったら、「什么(shénme)?!」と眉間に皺を寄せて聞いてきた。何か悪い事でもあったのだろうか。すでにiPhoneの歩数計は2万歩をこえていた。夕暮れの近づいた空を見上げながら、明日は散歩を控えようかと思った。
今夜は、陳さんの息子Eddyさん家族が金、土曜日を使ってやってくる日だった。家から近くの火鍋屋で夜食を共にした。イギリスに留学していたらしく、エンジニアリングの仕事に就いているエリートである。奥さんと娘さん(小学1年生)、息子さん(3歳)と一緒だ。具材の煮立った火鍋をつつきながら、大学時代の研究の話になった。学問には縁が薄かったため、飲み終えたグラスに残った用済みのレモンの切れ端のような気持ちだった。絞り出すように話したが、幸いにも十分に興味深いという様子で熱心に聞いてくれた。
2つの鍋を挟んで、テーブルの端に座る娘さんが恥ずかしながらも興味を持ってくれている。Eddyさんと喋りながらも、度々目が合ってにこっと可愛げに照れるのだ。食べ進めているうちに、目の前の席にやってきた。もちろん英語は話せないので、どうしたものかと私は考えていた。すると、奥さんがスマートフォンを彼女に渡した。翻訳機能を使うらしい。中国語で一生懸命話しかけている。日本語になった彼女の言葉が画面に写さたのだろう。嬉しそうに身を乗り出し、私に画面を見せた。
「日本のディズニーランドに行ったことありますか」
そこに絞ってくるのかと言う第一問目がやってきた。
「6回くらいありますよ」私は少し控えめに答えた。
スマホを娘さんに戻した。すると、興奮気味に中国語でみんなと話している。ちゃんと伝わっているようだった。きっと、6回もあるんだって!とみんなに伝えているのだろう。
その後も翻訳機能を使って彼女と渡し合いの会話を続けた。小さい子というのは、本当にきゃっきゃとした音で笑うのだなと、こちらまで心が弾むような無邪気な笑い声だった。
「好きなアトラクションはなんですか?」
「台湾は好きですか?」
「私は浅草とスカイツリーには行きました」
「日本のラーメンは世界一だと思います」
「好きな台湾料理はなんですか?」
ひとつずつ答えるたびに、彼女の笑い声が聞こえた。その笑い声を聞いていると、こちらまで幸せな気持ちになった。画面に映された言葉で、きちんと私たちは会話をしていた。
当然3歳の息子くんも私に興味があるようだった。こちらを向いて笑みを浮かべた。言葉など使わなくてもそれは十分に伝わった。私もスマホなど使わずに答えた。
技術によって失われてしまった価値や楽しさがあるだろう。旅にも関係する言葉と取ってもらっても構わない。おそらくあるだろう。だが、私たちは会話をして、笑顔が生まれた。それは、確実に技術によって齎された新しい価値や楽しさだったのだ。小学生が翻訳機を使って異国からやってきた私とコミュニケーションを取れている、そんな時代なのだ。少なくとも彼女に、この日本人は6回もディズニーランドに行ったんだと伝えられた。
Eddyさん家族も一緒に帰路についた。子供達の賑やかさがいつものリビングルームに温かな活気を漂わせていた。ベットに横になると、夜までの疲労感を忘れていたことに気がついた。天井に張り付いたままの蓄光の星型シール達は変わらず発光を続けていた。幼かった頃のEddyさんが貼ったのだろうか。
231027 Taipei Taiwan

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