Notes photos and somethin bout this Big Circle

231106 Jakarta Indonesia

アルムに朝食をお願いしますと伝えると、フルーツが5種丁寧に盛られたプレートが出てくる。昼だって、ご飯が出てきてしまうもんだから、外出するのが億劫になってしまう。なかなかここは危ない場所だ。

とりあえずこの危なさに身を任せるとして、アルムの作ったナシゴレンを食べて、十分に出発する気がやってきた。今日はモナスタワーへと徒歩で向かい、付近にある国立図書館がどんなものなのか見てみよう。それと、東南アジア最大と言われるモスク、イスティクラルモスクへ立ち寄れたら御の字だ。地図を見る限り、この3つは歩いて向かえる距離に位置している。やっとの思いで重い身体を外界へと連れ出した。時刻はすでに13時だ。

空は白く霞んで、スモッグの層から太陽の光が蒸し暑さを伝える路地。慎重に歩けばこの暑さに負けずに、無事に辿り着けることだろう。広い公道にはバイクや乗用車、バスが忙しく通り過ぎている。深く空気を吸い込んで、肺に入れると苦しかった。一応作ったような控えめな歩道の道幅は頼りなく、歩行者は私以外に見受けられなかった。砂利を敷いた土地は駐車場なのか、係員の男性がプラスチック製の椅子に座って、右手には入出庫用のゲートバーに繋がれた紐を持っている。車がやってくると、持った紐を緩め、ゲートバーが上がる仕組みなのだ。元々は電動で動くようなゲートバーだが、悪くなってから仕方がなく、手動で間に合わせている様子だった。

歩道を歩いていると、バイクタクシーの勧誘がやってくる。笑顔で断ると、彼らも笑顔で返してくれるのが悪い気がしなかった。モナスタワーまでの2kmは、歩いて20分。すでに暑さに負けた身体は重たく、汗腺ですら疲れた様子だった。もうジャカルタの街をこれほど歩くことはないだろう、次はバスを使おうと誓った。モナスタワー周辺の広場へ入ろうとすると、今日は休みだと門番に断られた。では、図書館はどこだと訊くと、右手に見えるあのビルが国立図書館だと指を刺して説明してくれた。

東京にあればオフィスビルのような風貌のビルが図書館らしいが、まだ信じられない私は疑わしく入り口にいた係員にも、これは図書館かと訊いた。これだこれと彼は笑顔で答えてくれた。

この近代的なビルがジャカルタの国立図書館。グラウンドフロアのロビーはいかにもオフィスビルのようで、カツカツと歩くヒールの音も響いていた。まずはフロアガイドのパネルを美術館に展示された絵画のように眺め、目指すべき階を見定める。24階まである立派なビルなのは間違いなかったが、国立であるのに英語表記がないため、24もの階層に何があるのか全く分からないのだ。

4階までは吹き抜けになっていて、エスカレーターで見回ることができた。食堂や勉強机が置かれた自習エリアにイベントを催しているホール等々。図書館の様子は全くないため、この辺りは多目的スペースの集合階なのだろう。5階以上はエレベーターの移動だ。

目的もなく、エレベーターに乗り込んで、すでに誰かが押して光る22階のボタンに目星をつけた。目星は当たった様子で、エレベーターのドアが開くと、適度な机に学生だろう若者が勉学に取り組んでいる。立ち並ぶ本棚は白いスチール製の簡単なもので、英語の本も所々に存在した。何人かの学生はオンラインで授業を受けているのか、Dellのラップトップを覗きながら、真剣にノートを取っていた。レポートに取り組んでいる学生は、5冊ほどの本をまとめて机に積んでいる。中央にはこの22階と21階を繋ぐ階段があり、スマートフォンを触る子や本を読む子が腰掛けていた。

台北で通っていた図書館とは違った造りだが、紙を捲る音に、ラップトップを弾く軽い音、平穏な空気は変わりなく、私はそこにある微風のように漂っていた。

エレベーターで他の階の様子を見に行こうと、下降ボタンを押す。全部で5つエレベーターは確実に動作しているが、彼らの効率は悪く、一日中21階に留まらないといけないのかと思うほどやってこなかった。仕方がなく、非常階段サインのある重いドアを開けて、地道に階段を降りていった。次の階へ次の階へ、下へ下へと降りるが、ほとんど階のドアは施錠され入ることができない。入れたとしても、教室のような机の並んだ部屋が並んでいるが、本のある気配はない。図書館として成り立っている階は21と 22階のみなのかも知れない。ビルを降り疲れた私は、グラウンドフロアのベンチに腰掛け、ロビーを行き来する人々を黙ってしばらく眺めた。

よしっとやる気が出てから、モナスタワー周辺の広場を反時計回りに歩いて、北にあるイスティクラルモスクに辿り着いた。空は仄かに橙色に染まる頃で、境内へ入る門前には、屋台で軽食を売る中年の女性がいる。巨大な正方形に積まれた大理石の建物がモスクだろう。近くにいた係員にどうすれば入れるのかと訊くと、観光客用の見学があると言って、ついてこいと案内してくれた。「お金取らない?」と心配した様子で訊くと、「取らないぞ、freeだ」と男性は当たり前のように笑った。恥ずかしくなり、私も笑うしかなかった。

待機場所になっているプレハブに案内され、椅子に腰掛けて待っていると、同じく回収された観光客がまばらにやってきた。Google Formに名前と国籍などの簡単な情報を入力し、肌の露出を隠すためのケープを羽織った。人数が集まると、係の男がラム酒の瓶を机の下からこっそりと出して、ぐびっと一口飲む。「Welcome Everyone! 」と元気よく司会が始まった。彼のどこかしらのスイッチが入ったようだった。

このイスティクラルモスクの大きさは東南アジアでは1番を誇り、世界で3番目となかなかの規模だ。オランダ統治後に建設され、独立を象徴するこのモスクの礼拝堂は高さ46m。煌びやかなエメラルドグリーンのドームと、銀に輝く支柱がこのモスクの大きさをより強調させた。紅色の絨毯が敷かれ、小さい子供達が家族と揃って祈っている。何を祈っているのか知る由もないが、遠目から見る彼らの小さな表情は、静かで落ち着いていた。我々はイスラムでないため、2階の展望階からのみこの場所に立ち入ることが許されている。祈る人、祈り終わり柱にもたれる人。人々憩いの場でもあるのだろう、私は気付けば、ゆっくりと深く息を吸い込んでいた。

羽織っていたケープをテリマカシ(Terima kasih)と案内所のプレハブで渡して、30分ほどの案内は終了した。正門から出ていくと、道路の向かいには所々に年季の入った教会がある。多様な宗教を持つインドネシアならではの配置だなと感心し、西から入る陽射しを浴びながら、帰路に就いた。

スラマットダタン記念碑の環状交差点でバスを降りた。帰宅ラッシュの車やバイクがしひめいて、ゆっくりと流れる様子を横目に、中央の噴水では水が踊り、その周りでは仕事終わりの友人や子供を連れた家族が楽しげに話している。夕暮れの風が涼しく吹き抜けていた。

ドアマンに挨拶し、シャンデリアの懸るロビーを歩く。私はジムに行って、5kmの走り込みをする。5分/kmから4分/kmのペースまで追い込むことができたのは成長を感じた。乳酸の溜まった足を冷やしにプールサイドに腰掛けて、足を入れてみるが水はぬるい。ジャカルタの喧騒が、変わらず街に響いていた。

家に戻りシャワーを浴びると、ブイが仕事から帰ってきたところだった。今日は何をしたのか喋り、そういえばジャカルタの後はどこにいくのとブイが訊く。確かに、いくらでも居て良いよという言葉に甘えており、次にどこに行くか決めていないのだ。インドネシアだから、コモド島やバリ島など、島に興味が湧いてきた。決めるのは明日からにしよう。

今夜のアルムの料理も大変Enakだった。私のインドネシアの味はアルムの手料理になっている。私はここから出られるのだろうか。

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