ここに長く居るのは危険だ。明るくなった外の景色を眺めながら思う。すでに街の車やバイクが、ビル群の合間を縫って動きはじめていた。遠くに見える地平線はスモッグで霞んで、空との境界線が曖昧だ。この環境に慣れてしまうのは、これからの旅に支障をきたす恐れがある。あるいは、もうすでに支障をきたしているのかもしれない。広々としたダブルベットに、快適なシャワールーム、中国製の温水洗浄トイレ、ダイソンのドライヤー、ジム、プール、アルムの手料理。日本での生活にすらなかった豪勢なものに囲まれて、私のジャカルタ生活は平和に営まれていた。
それでもやはり、明日ジョグジャカルタへ出発するのは良い判断だったと安堵している。もちろん、寂しさを感じないわけではない。むしろ、ここからまた新たな場所へと向かう不安が、静かに心の中に出現しているのを感じていた。
エクと「11時から会おう」と約束していたけれど、結局、彼は13時を過ぎたころにフランスとタタを連れてコンドミニアムにやってきた。アルムの手料理を食べられるのも今日が最後なので、昼食を家で食べることができたのはちょうどよかった。エントランスのソファに座っていた彼らと、「久しぶり」と握手する。タマンミニという場所へ向かって、早速バスを乗り継いだ。
タマンミニはインドネシア各地域の伝統建築が再現され、テーマパークのようにまとめられた観光施設らしい。最寄りのバス停で降りると、エクが「タマンミニまで歩いて15分もあるな」と日差しに目を細めながら考えはじめた。「走るぞ!」という彼の掛け声が聞こえた。彼はすでに走りはじめている。顔を見合わせたフランス、タタ、私も追って走りはじめた。構わずどんどんと遠くへ進むエク。すぐにタタが疲れたと息を切らした。私は笑って彼らについていく。額の汗が垂れてきた。
ふと、目に映るすべてのものから現実性が抜け落ちたような感覚が訪れた。突然、私の脳みそが今していることの現実を認識できなくなったのだ。数日前には会った事のない、全くの赤の他人だった彼らと、今ジャカルタ市内を駆けているこの現実が、急に私を混乱させたのだ。息を切らしながら「不思議だな」とつぶやいた。
汗を流しながら辿り着いたエントランスには、いくつかの屋台が並んでいる。カットフルーツの入った甘いジュースに、ピーナッツソースと辛みのあるソースがかかった揚げ餃子を買って、それを仲良く分けた。園内に入場すると、ジョグジャカルタのエリアが見えた。3人が展示された工芸品でふざけ始めるのを見て、思わず笑ってしまった。
園内でカップルをよく見かけるから「インドネシアでは、どうやってカップルが成立するのか」と何気なく彼らに訊いた。日本だと3回デートして告白するという、所謂一般的な流れのようなものがあるが、様々な宗教と文化が混ざるインドネシアではどうなのだろうと気になったのだ。
「そうだな、最近だとジャカルタではOne night standとFriends with benefitsがめちゃくちゃ増えているね」という思いがけない回答がやってきた。よく恋人関係で鬱になってしまう人も多いんだとエクがひとこと加える。意外だ。ジャカルタのカップル事情はなかなか複雑そうだったが、都会だからそんなものなのかもと通り過ぎてゆくカップルを眺めた。
彼らの質問は、私のものと比べて真剣なものだった。「日本の学校では、戦争中の日本が他国に行った仕打ちについてあまり勉強しないって本当?」「日本の天皇が最近こうだったけど、どう思うか」などなど。焦りを悟られることのないよう、手持ちの数少ない知識を絞り出して、なんとか回答ができただろう。インドネシアでは、統治されていた歴史もあるからか日本について知る機会が多いらしい。日本人の我々はどうだろうかなんて考えて恥ずかしくなった。
ツバメがよく飛んでいる。日本から越冬のためやってきているのだろう。私と同じルートだ。中華系エリアにある八角形の屋根がついた東屋でしばらく休憩する。野良猫がすぐそこの床に寝転んでくつろいでいる。フランスがあやしに慎重に近づいていった。
「日本人は友達と遊ぶときにどんなことを話すの?」と猫をあやしているフランスが訊く。「個人的な話をするかな、この年齢になると仕事の話とか、週末の予定とか」私は答えた。3人はやけに頷いて、インドネシア人ももっとそういう類の話をした方がいいかもと納得した様子だった。
広い園内をひと回りしてエントランスに戻ってくると、相乗りのバンの前で客を待つ中年の男性が我々に向かって何か呼びかけている。これに乗れば最寄りのメトロ駅に行けるぞと声を掛けてくれたらしい。歩き疲れた我々は躊躇なくそのバンに乗り込んだ。すでに女の子とその家族が席についていて、しばらくするとタマンミニのスタッフが勤務を終えてユニフォームのまま乗り込んできた。走り出すと、開いている窓から夕方になって少し冷えた風が吹き込んでくる。西の空が暖かな光に包まれていた。
隣に座ったエクと日本に来たらやりたいことを話した。彼はやりたいことが沢山あるようだった。日本のJulyからSeptemberは暑すぎて、危険なんだと私は忠告しておいた。「ジャカルタよりか」とエクは驚いていた。そして「今日までありがとう」と彼に伝えると、「No problem, someday we can see each other again」と言ってくれる。
真新しいメトロ駅までバンはやってきて、我々は電車を待った。エクもタタもフランスも疲れたのか、電車がやってくるとすぐに空いた席についた。私は扉の横に立って、窓から見えるジャカルタの景色を眺めていた。遠くに見えた高層ビル群が徐々に近づいてくる。道路に並ぶ光の列がどこまでも続いている。気がつくと、エク達は眠っていた。
終点のスラマットダタン記念碑駅にやってきた。「ここからなら歩いてコンドミニアムへ帰れるから、問題ないよ」と伝えるが、エクが「じゃあ走るか」と笑ったので我々は賑わう大通りを走ることになった。通行人を避けながら、合間を縫って駆けて行く。タタは諦めて、疲れたと歩きはじめる。エクと私が1着でコンドミニアム前にやってきた。少し待つと、フランスとタタが順でやってくる。一息ついて、最後の握手だ。「ありがとう See you again」と声に出したら、なんだか込み上げてくるものがあった。私はドアマンのいるエントランスの扉へと歩く、彼らは駅に戻っていった。ありがとうしか言えなかった。顔見知りのドアマンがおかえりと声を掛けて、ドアを開けてくれる。
帰るとすでに夕食の準備ができていた。最後のアルムの食事だ。ブイとトーマスさんと3人で、ルンダンという牛肉をスパイスとココナッツで煮込んだ料理を食べる。やはりアルムの手料理は格別だ。最後ということもあり、沢山いただいてしまった。大きくなったお腹をアピールして、アルムにEnakとKenyangと伝えると、彼女はいつも通り嬉しそうに笑った。
明朝の列車のため、スナックと水を買いに、連結しているショッピングモールへブイと一緒に行った。ジャカルタ初出店のフライングタイガーが多くの若者で混雑しているのを見て、気になって覗いてみる。品揃えは特に日本と変わらないらしい。
スーパーのベーカリーにあんぱんがあったので、値段も見ずに買うことに決めた。高い買い物だったが、この機会を逃すと次にいつあんぱんが食べれるのか分からないと思うと、買わずにはいられなかった。随分と人がいるなとブイに訊くと、今日は土曜だからねと答えた。フードコートで食事をする家族や、カップルがウィンドウショッピングをしている。みな楽しげに土曜の夜を楽しんでいるようだった。
明日は朝6時の列車を予約している。早いのでさっさとシャワーを浴びて、出発の準備をした。久しぶりに動かしたバックパックは、相変わらずの重量だ。ダブルベットで寝るのも、当分無くなるのだろう。今夜で最後だと、いつもより思いのほか丁寧に身体をベットに包んだ。
大きな窓から見えるビル群と屋外広告は、色とりどりの光を放って部屋を照らしている。車やバイクの唸る音が跳ね返って響き渡る。時々、クラクションの音やサイレンが遠くから聞こえた。眠りにつきながら、それすらも恋しくなってきた。
231111 Jakarta Indonesia

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