7時半に起きると、すでにトーマスさんは起きて支度をしていた。「おはようMrトーマス」と伝えると、にこっと優しい笑顔を返してくれる。十分にルーティン化された冷蔵庫からフルーツプレートを取り出す朝。そういえば、ドラゴンフルーツを毎日食べているからか、毎回便が出血したかのように赤い。最初はずいぶん驚いたが、もう慣れた。
トーマスさんと話しながら朝食をとる。
「旅が終わったら何をするんだ?日本で再び働きはじめるのかい」
彼の朝食といえば、ちょっとしたスナックをつまむくらいだ。
「昔はすべてがMade in Japanだった。テレビも車も。けれど今は、中国がそれを担っている。これがアジアの流れだ。次はどの国がその波に乗るか、よく見ておくといい」
確かに台湾では、日本と変わらぬ快適な暮らしができていた。では、この先どの国が同じ水準に辿り着くのだろう。そして、日本はどこへ向かうのだろうか。アジアの潮流について、私たちはしばらく熱心に語り合った。
これが当面の間、最後のチャンスだと思い、16階のジムへと向かった。艶のあるエレベーターを降りて、プールサイドを横切る。ガラス張りのジムの中では、すでに数人が熱心にワークアウトに取り組んでいる。入り口に積まれた肉厚なタオルを手に取り、空いているランニングマシンの電源を入れた。均一な走行ベルトの稼働音。正面にあるタッチパネルで速度を5:00/kmに合わせる。私の駆ける拍が、少しずつ速まっていく。ランニングマシンは好きではない。マシンのテンポに合わせなければならないのが、どうにも苛立たしいのだ。ガラス越しに見える係員が、プールサイドの床を拭く様子を眺めていた。
シャワーを浴びて、ダイソンのドライヤーで髪を軽く乾かす。洗濯物はアルムに任せた。コーヒーを淹れ、ラップトップを開いて旅の経路を調べはじめる。ジョグジャカルタの次は、空路でバリに行くことにしよう。トーマスさんもブイも、まずはこの2つの都市を訪れたほうがいいと勧めてくれていた。気づけば、時計はすでに正午を指していた。そこへアルムが「Lunch?」と顔を出す。「Yes!」と笑顔で返すと、なんと日本のカツカレーがいらっしゃった。そろそろこの場所ともお別れだからだろうか。こんな手厚い料理を用意してくれたことに、思わず感動する。久しぶりの日本のカツカレーだ。笑顔が止まらない。
ブイと13時半に、Ragunan 動物園で待ち合わせる予定だ。セントラルから南へ向かうバスに乗る。目的のバス停まで揺られていると、前に座っていた女性がふと振り返り、私に何かを訊きはじめた。おそらく、このバスはどこどこに行くかを私に尋ねているのだろう。分からないんだと英語で伝えると、呆気にとられた様子で「It is okay」と言われた。私はインドネシア人に見えるらしい。結局、約束の時間より30分も遅れてしまい、ブイを待たせた。私の時間感覚が、インドネシアに染まってきていた。
さすがはインドネシア。Ragunan 動物園はとんでもない敷地の広さだった。園内をいくら歩いても、まだ入り口付近のブロックを出たあたり。一番奥のエリアまで行こうと思うと、どう考えても一日がかりだ。トラにライオン、ゾウ、オランウータン、インドネシア各地から集められた猿や鳥、蛇まで、とにかく盛り沢山だ。小学生の頃、動物図鑑で夢中になって眺めていたコモドドラゴンにも、とうとう会うことができた。夕方まで園内を散策したが、全体の半分ほどしか回ることができなかった。
歩き疲れた我々は、待機していた運転手のヒュンダイに乗り込み、コンドミニアムへと戻った。これから、昨晩連絡をくれたニコに会うのだ。ニコが言うには、セントラルのなんだかとても上品なお店を選んでくれているらしい。ブイも面識があるから、ぜひ来てくれとのことだったので、2人でお店へ向かった。確か、大学の卒業式ぶりの再会だろう、4,5年振りといったところか。
優雅な店内装飾に落ち着きのある音楽、お客は皆スタイリッシュな装いをしている。ニコはすでにテーブルで待っていて、会うと我々は笑顔でハグをした。ポロシャツを着て、なんだか大学の頃よりもがっしりとした体型になっている。訊くと、最近ウェイトトレーニングを始めたらしい。ニコとブイがメニューを見ながら、手際良くウェイターに注文を済ませた。ビンタンビールが運ばれ、我々のテーブルに次々と料理がやってくる。誰かと飲むビールは嬉しい。料理も贅沢に、魚介類からナシゴレン、野菜炒めなど。魚のソテーは「ここが一番美味しいから」と一番脂の乗った部分を私に取り分けてくれた。大学時代の話では、共通の友人の話になり、あの人はこの人はどうしているかと話がはずむ。
ニコとブイが笑いながら言うには、私は中華系のインドネシア人にとても似ているらしい。ジャカルタにいる間、何度か現地の人に話しかけられたり、道を聞かれたりもした。今日だって、バスで前に座っていた女性に尋ねられてしまった。旅を始める時に丸坊主にしたせいか、日本人として見られることはほとんどない。
ウェイターが会計を持ってくると、ニコが自然な流れで主導権を握った。金額を尋ねると、「No worries. This is my thank you for you being such a good friend」と笑顔を見せる。思わず私も笑って「ありがとう」と伝えた。ニコは駐車場に停めてあったスズキのジムニーに乗り込み、帰っていった。見えなくなるまで、私はずっと手を振っていた。
帰ってから、あれだけ豪勢な食事をいただいたのに、アルムの料理も食べておきたくてお願いすると、すぐに用意してくれた。ゴロッとした肉と野菜のスープ。こちらも美味しくいただいて、EnakとKenyangと伝えると、ブイとアルムは「全部食べたの?」と驚いた顔をしていた。もうアルムの料理を食べられなくなってしまうのだと思うと、私は寂しかった。けれど、その時の私はきっと、嬉しそうに笑っていたと思う。
残り2日でジョグジャカルタへ旅立つ。窓の外から、ビル群や屋外広告の光が、いつも通りこの部屋を照らしている。この部屋も、恋しくなるだろう。もう、外から聞こえるはずの街の喧騒にも気が付かなくなっている。
231110 Jakarta Indonesia

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